オープン以来、おそらく1番多く聞かれた質問やと思います。何屋なのか、わかりにくい店構え。馴染みの無い対面販売。菓子パンのない、これまた馴染みの無い商品ラインナップ。散々、叩かれましたよ、業界からも。無理に決まってるって。間接的にね(笑)。直接言ってくるような根性ある人間いませんから、この業界(笑)。でも、さすがに神経細いほうじゃない僕でも堪えましたね。なんせ不安だらけでしたから。ま、これだけ偏った店ですからね。だから逆に、「自信あったんですね」って言われることもありますが、滅相もないですよ。ほんっとに滅相もないですよ。ただね、他人には「特別」なことでも、僕には「必然」やった・・ただそれだけのことなんです。
フランス行く前で、7年5店舗。その内3店立ち上げで、1店は商品総入れ替え。「独立したら?」「フランスに何しにいくの?」とも言われました。でも僕は、その全てをリセットして、パリへ行きました。自信、無かったんです。すがるものが無かったんです。自ら掴んだものが無かったんです。僕はその「何か」を、フランスに求めたんです。職人としての僕を、残りの職人としての半生を、エリック カイザーという人物に捧げに行ったんです。ですから、僕にとっては必然なわけです。このスタイルは、特別ではないんです。もっと簡単に言うと、これしか出来なくなっちゃったんです。
物を作り、伝える・・表現者として何を伝えるのか・・・それは、自分が感じたこと以外無いんですよ。感動し、心震わせ、身体の内からにじみ出てくるものを表現するしかないんです。パンに限らず、感じてないものを、上っ面だけで表現しちゃう方、多いですが、そこから何か伝わるんでしょうか?何か感じてくれた方に、罪悪感は無いんでしょうか?共感して下さった方と、本当に喜びを分かち合えるのでしょうか?僕は「ル シュクレクール」とは、表現媒体だと思ってます。何を学び、何を感じ、何を想い、何を伝えたいのか。表現手段として、キュイジニエなら料理を作るし、ライターさんなら文を綴るし、画家さんなら画を描くし、僕はブーランジェなので、パンを焼くんです。それを誰に食べてもらいたいのか考えた時、地元の吹田だったわけです。ま、市内で店を出す、自信もお金も度胸も無かったんですけどね(笑)。
 |
パリで働いてた時も、パリジャンは数人しかおらず、ほとんどが地方出身者。僕と同じ位の年恰好の男が、大きな身振り手振りに満面の笑みで話してくるんです。
「パリは、人もいっぱい、車もいっぱい。空気も悪い。俺の地元には、こーんな大きな山があって、こーんな大きな湖があって、空気も綺麗で、良いとこなんだ!」って。そしてみんな、地元に帰って行くんです、当たり前のように。そう、当たり前のようにね・・。
日本はまだまだ都市部中心。郊外で出しはる人は、決まって「郊外なので・・」と、いちいち言いはる。「ホントは、ハード系のパンをやりたいんだけど、郊外なので・・」みたいに(笑)。いちいち言い訳じみたこと言わんでも、自分で決めたんやったら胸張ったらいいのに。金融機関に足元見られながら、嫌な思いして独りで多額の借金抱えてるんでしょ?自分の色も、想いも表現できずに、場所のせいにしはるんやったら、辞めたらいいんです。大してそこらの店と変わらないのに、多額の借金だけ抱えるぐらいなら、雇われてるほうがよっぽどマシですわ。貫く信念がない自分への逃げ道、周りへの言い訳の道具にしか過ぎません。じゃあ聞きますけど、郊外にお住まいの方は、味覚が劣るというんですか?旨い、不味いが、わからないとでもいうんですか?知らない方が多いだけです。触れる機会が少ないだけです。なぜなら、伝える人が少ないからです。僕はどうせやるなら、世話になった人たちの多い場所で・・・と思ったんです。当時29歳。三十路目前の自分が、ちっぽけな自分が、唯一出来ること。それが、パンを作ることだったんです。
そして、このパンを焼きつづけることは、ブーランジェとしての自分が、ブーランジェであり続けるために必要なこと。このパンに触れ、香りを嗅ぎ、当たり前のように店に並ぶ・・そんな環境じゃないと、生きていけないんです。このパンを作ることをやめた時、それはブーランジェとしての僕の死を意味することでしょう。簡単に言うと、僕にとって「酸素」みたいなものなんです。なきゃ死んじゃうでしょ?だから作る。明日も逢いたいから、だから作る。作らなきゃ逢えないから、パリに行かなきゃ逢えないから、だから作る。基本、それだけ(笑)。
在り得ないかもしれないけれど、実際、「行く」って言って一度も来てくれてないけれど(笑)、恩師がもし不意に訪ねて来たとき、がっかりさせたくないんです。「コイツに教えて良かった」と、思わせたいんです。企業人のように、お金で潤してあげることは出来ませんが、職人として出来ること、見せれることもあるはずです。引き継いだものを、頑なに守り、育てていく・・。
これが「半生捧げた人」への、ささやかですが、
僕なりの「オマージュ」(敬意)なんです。
|